TRPGについて
※筆者の偏見と独自の理論が多めとなっております!閲覧の際には「まあこんな考えもあるよな」程度に捉えてください。※
TRPGについて物申したい
「ドラマを作るのは監督、脚本家であるが、ドラマチックにするのは演者である。」
誰が言ったかは覚えていませんが、こんな言葉を聞いたことがあります。
TRPGにおいてこれは最もたるものだと筆者は考えます。
常々思うところが、
「このシナリオ、穴だらけじゃね?」「全く身のないシナリオ。」
筆者は大々的に「自由」をコンセプトにTRPGをしています。
故に、シナリオの穴だったり、構成上の隙、というのは敢えて作ってあります。
前述のような言葉はシナリオ書きの方なら誰しも受けた言葉だと思います。
とてつもなく偏見的かつ筆者のわがままなような言葉を述べるのであれば
筆者の考える「自由」とはなにか?
「マシンガンでドンパチしたい」「ドラゴン相手に無双したい」
「✞殺戮の天使✞になりたい」「不死の肉体がほしい」
今挙げた要望を例題として「クトゥルフ神話TRPG」を基盤にして私が回答しますと
「アメリカ国境でゲリラが活躍するシナリオなら可能でしょう。日本でやりたいなら無理、とだけ。」
「そうですね、ドラゴンをまず召喚しましょう!あとはドラゴンスレイヤーとなるために魔術を習得しましょう!これであなたも魔術師ですね!」
「✞殺戮の天使✞になるために狂信者になりましょう!・・・ん?なんの狂信者ですって?無論『FPS狂信者』ですよ。」
「魔術をs(ry」
私は無理難題はいくらでも通していいと思っています。
ただ、通すための過程や道順の説明を入れて、それでもやる!と言い張るのでしたら作らせましょう。
自由な発想でドラマチックにシナリオを右往左往する、それが筆者の「夢」とも言えるTRPGの構想です。
独自のルールの改変について
私は大いにアリだと思います。私自身独自ルールや軽いサプリメントなどを構想する時があります。
現在幾千幾万とルールサプリメントが増えているTRPG、故に独自ルールや改変ルールは全然OKだと考えています。
またも「クトゥルフ神話TRPG」を基盤に語りますが、「クトゥルフ神話TRPG」も現在に至るまでに沢山の公式サプリメントが発売されています。
中でも「マレウス・モンストロルム」と「クトゥルフ2010」は筆者自身、画期的すぎて脳漿がはじけ飛びそうになりました。
このような公式サプリメントは実は思考や行動を制限しているものではなく、逆に「幅広く世界を広げる」ことになります。
「記載されていないルールはルールを作った人間の『このルールの穴を突け』のサインだ」。
かなり端折りましたが、この言葉の通り「穴となってるルール」を埋めるも広げるもシナリオ作成者の手にかかっており、GMの技量にもなるのです。
今回の話をまとめると、
TRPGは自由なので、GMやシナリオ作成者の手でいくら改変しても問題ない
そして、その「自由」のさじ加減は対象者に起因するので、自由度を高める場合は「GMのRP力」と「柔軟な発想と想像力」を手にしよう!
それらは「GM経験」と「PL経験」の兼ね合いで生まれるので、極端にTRPGをプレイするのは筆者としては推奨はしません。
「親(GM)の心、子(PL)知らず」「子(PL)の心、親(GM)知らず」ではゲームは成り立たないと感じます。
むしろPL歴長い方はこの記事を読んだら是非ともシナリオを書いてみてほしいです。
PL視点で「こういうがほしい」「あれがあったらいいな」というのを一度詰め込んだシナリオを作ってみてください。
最初は誰しも駄作です。どんなことも「経験」に勝るものはありません。
少し長く書いてしまったのでここらで切り上げます。
次回もTRPGの記事になるかもしれませんが、ゆったりと書いていきます。
それではみなさん良いゲームライフを。。
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