日本人相手にマジックはやり難いのか?
「日本の観客は疑り深いのでやり難い」という話をチラホラ聞きます。
私はキャリアの半分以上が海外だったので日本人に見せる機会というものが他の日本でやっているマジシャンなどに比べたら遥かに少ないです。
(2004年〜2014年まで海外に居ました)
見せる日本人と言ったら、留学生か出張で来ている日本人くらいなので当然ですね!
私の個人的な考えですが…
(このブログで個人的では無いことが少ないのですが、この言い回しが好きなんですよ…)
「日本人は疑り深いのではなく、常識がある」と考えています。
常識と言うのは一般教養と言い換えたり、科学的な常識と言っても良いです。
エセ科学にころっと騙される方も大勢居ますが、それでも日本は世界的に見たら教育水準が平均的に高く、国民のほぼ全員が読み書きが出来るという珍しい国です。
一般教養、科学的な最低限の知識があるので、不可能な現象を不可能であると結論付ける事ができますし、現象に対して考察をする癖があります。
よく「数学は、その解法へ至るまでの論理的思考を養う学問だ」という話がありますが、まさにそれです。
程度の差はあれど、論理的に考えられるように教育されていますし、その成果が出ていると思います。
最近読んでいる某翻訳本で次のような一文がありました。
『自由と公正さを演出するために、相手に何度もデックをカットさせる。』
その国では一般的に通用するかもしれませんが、日本ではカットだけでは自由と公正さを演出できるとは私はどうしても思えません。
疑わない人は、それでよく混ざりましたと言われれば混ざったと思いますが、そう思う人は少ないのではないかと感じています。
何人かに聞いたら、マジックを始める前から「カットは混ざってない」と思っていたとか、「リフルシャッフルは規則性残りそうだよね」と言っている人もいました。
おそろしや…
聞いた人数が少ないのでこっちのほうが少数派かもしれませんし、これはどっかでアンケートとかを取ってみたいですね。
以前、イギリスで語学学校に居た時の話です。
話の流れ的にマジックが出来ることがクラスの人にバレてマジックをすることになったので、簡単にアンビシャスカードをやりました。
そこで面白かったのが、ミスディレクションでよくある相手の目を見て話すというのをやったわけです。するとですね…
イギリス人:こちらと視線を合わせて、話し終わるまで顔を見続ける
ロシア人:デックから目を離さない
カザフスタン人:デックから目を離さない
韓国人:こちらの顔を見る
日本人:デックを凝視する
イタリア人:チラッと顔を上げて、視線を戻す人と戻さない人がいる
スペイン人:こちらを見る
ドイツ人:後ろの方にいたので不明
割りと国柄が出るのではないかと思いました。
当時イギリスだったのでヨーロッパ系の人に見せる機会が多かったのですが、彼らはほぼ全員が全員話しかければこちらの顔を見ます。
習慣の差を感じましたし、やりやすいなとも思いました(^ρ^)
人の目を見て話しましょうというのが徹底されています。
そうしない方も居ますが、それでも手元からの視線は外れて一瞬こちらをチラッと見ます。
日本人も人によるとは言え、手元から視線を外す人は欧米の人に比べたら少なく感じます。
ロシア人も割りと手元をガン見しますが…(^ρ^)
社会主義的な人の特徴なのかもしれませんが、別の日に中国人にやった時はあっさりとこちらを見たので違いますね…
これは目を合わせて話すという常識が無いのではなく、良く言えばそれだけこれから起こることに対して真摯なんだなとも思います。
欧米では重要度が「人>現象」なのに対して、日本等では「人<現象」となっているのかもしれません。
日本は歴史的に見ても、好奇心と物に対する思い入れが強い民族ですし?
そういうのを加味してやらないから「日本人相手にはやり難い」という言葉が日本のマジシャンから出てくるのではないかと思います。
国民性的に通用しにくいミスディレクションはあります。
その辺の文化的人種的背景を考えずに、海外マジシャンの話をありがたがって全てを鵜呑みにするのは危険だと感じているわけです。
日本人に限らず、マジックを見るのが嫌いな人が居ます。
バカにされていると感じるのが原因だそうですが、その理由の一端を「誰に通じるんだ?」というレベルのミスディレクション、お世辞にもフェアと言えない状況や演出で「不思議でしょ?」と問うようなスタイルが担っているのだと思います。
(他にも小道具が玩具みたいとか、マジシャンの話し方に品が無いという理由も聞きます)
動きが丸見えだったり、常識的に考えて起こりそうな事を、さも奇跡であるかのように扱う時代は過ぎ去ったのかも知れません。
また、そのことがメンタリズムという、人間本位で、人間に備わっている能力と知識によって起こす(と思われている)現象が流行る原因になったのだと考えられます。
最初から、「(実際はどうであれ)心理学や統計学、表情を読むことによって、擬似的な読心術をやります」と言って、実際そうやっているようにしか見えない現象が起きれば、説得力が有りますしね…
少なくともカットしただけで「混ざった」と主張するよりは遥かに…
それと、見ている人に常識があるというのはデメリットばかりではありません。
彼らの常識を少しでも上回る現象が起きて、それを検証した結果やはり彼らの常識ではそれを説明できない時、それは確実な魔法になります。
記憶術も割りとそちらに含まれるようで、知らない人からしたら超人的に見えるそうです。
以前、最初に「カードの順番を全て覚えているのでどこから引かれても分かります」と言って始めたことがあるのですが、誰もカードの順番を記憶しているなんてことを信用せず、終わった後でも疑っていたくらいです。
(途中でシャッフルしたのが原因かもしれませんが…)
昔と比べ、今の観客がマジックに対する要求は高いはずです。
時代が進み、技術が進歩し、人々の常識が刷新されているからです。
また技術の進歩によって、人はより根源的な物を追い求めるようにもなっています。これは歴史的に見ても定期的に有る流れですが、以前と違うのはオカルトブームではなく、人間の心理的な部分や脳にフォーカスされていることです。
だからこそメンタル系の現象は今後も生き残るのではないかと思っていますし、催眠術も同じように考えています。
(疑似心理学、疑似脳科学的な内容もよく出ていますね)
最後に繰り返しになりますが、疑り深い観客は悪いことばかりではありません。
彼らの疑いを振り払うことが出来れば、疑わない観客よりも強い信頼を得ることが出来るからです。
これは頭の良い人ほど怪しい宗教にハマったり、詐欺に合うケースが多いのと似ていますがね…(^ρ^)
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