雑記:ぼんやりとマジック観(?)

やぁどうもおはようございます月ノ風です。

もう一週間経ちましたか・・早いですねぇ
当然ながら(?)これといった消化できてないんすよ・・

いやまぁ、凄い中途半端にかじりましたみたいなのならいくらかありますよ、でもレビューはしたらあかんやんそんなの
で、私多分今週も時間あんまりとれないんですよ

というわけで、次回に続きそうなネタということで、とりあえず今回のところは私のマジックの見方みたいなのを紹介しておきます。
その後、ワントリックについてなんか語るみたいなのをちまちまするかのうせいがなきにしもあらず

 

はい、というわけでの雑記回

芸術とは

芸術(げいじゅつ、: η τεχνηtechné: ars)とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。

らしいですよwikiさんによると(唐突な出だし)
いきなりなんやねんって思うでしょう、私も見切り発車してるのでよくわかってないです。このままいきましょう止める者は誰もいないマイウェイ

マジックは芸術なのか?という問いを時々見かけます。
私はYESだと思っています。私にとってはね。

で、芸術ってなんやねんっていうところで、上記ですよ
まぁ、なんか刺激受けんねんってことですよね要は

私が思う芸術ってもうちょっと感覚的なもので、言葉に頼らない言語って感じなんですよ。
字が理解できない人にも伝わる言葉って表現でも一部あってると思います。
それはきっと「表現」の芯の部分なんでしょうね、言葉に頼らない言語

文字が読めなくても絵で分かる、音で楽しさが伝わる。そういった、伝えたい事を何かしらの手段で伝えるものを芸術と呼ぶんだろうなと思っています。
そして、その「伝えたい事」は表現者の情動や思想のような、表現者個人が内側に抱えたものに近いほど芸術らしいなと

(自身の限界によって)語りえぬものには口を噤んだとして、それでもその外側の物を語りたい時に芸術という表現活動をするんだと思ってます。
別に論理に限らず、自分の世界(言葉の及ぶ範囲)では伝えきれない衝動や情動をね

なので、私にとっての芸術とは伝えたい気持ちありきなんです。伝えるための言葉のようなものなんです。
そしてその手段です。(相応しい言葉を知らないだけなのかもしれないけれど)
であれば、マジックも芸術足りえるものだろうと

 

さて、というわけで、私のマジックの見方の主な部分は「言語であるか」です。
技術を披露するようなもの、構成の美しさを見せ付けるもの
それでもマジックではあるんでしょうけど、伝えたいものが載っていないなら言語ではありません。そして、言語でないならばさほど伝わらず、伝わらないものは刺激が弱い。
よく分からん絵画みせられても・・すごい絵なんだろうね?みたいな、みせたという「行為」に対する評価で止まる感じ。

例えるなら音なんですよ(私はマジックに限らず何かの表現に触れたとき、「流れ」を重視します。これはざっくりいえば自然や調和や蓋然性みたいな話なんですけど、その感覚を音や色に任せることがあります。)

で、例えば「zmiu」のような連続した繋がりを持った音があったとしましょう。これは意味が載らない音です。
「mizu」であればどうでしょう、意味を持ち得る音になります。このあたりは知識と世界についての話に移っていくので割愛しますけど、同じ音でも意味を載せられる器に替えられるということです。私の感覚ではこの段階では器、もしくは殻です。

そして、相手に「水」を伝えるつもりで音を発してやっと言葉になります。ただの音なら植物のミズかもしれませんしね。
これが発話によるなら知識(イントネーション)や前後の「流れ」で判断されたりします。まぁそこもおいときます。

 

で、ですよ。私はマジックにおける技法や構成は、まだ器や殻でしかないと思っていて、言葉になってないただの音のようなものだと思っています。
それも組み合わせ次第では音楽になるでしょう、その路線を目指すならそれはそれでいいと思います。技法のつながりや現象までのリズムや刺激のタイミング等、しっかりと演奏するつもりでコントロールして欲しいですけどね、その路線で行くならね。

まぁそんな感じなので、言葉になってないマジックは私としてはマジックとしてまだ物足りない状態のように感じています。
中身がない殻ではね・・

 

言葉とは相手に伝わることが前提の代物です。
伝えないなら、純日本人が古代ギリシャ語で話しかけられても、なんかの音を発してるな喋ってるんだろうなと思うだけで終わるようなもんです。
専門用語でも同じことですね、専門用語っていわばその分野の国の言葉みたいなもんですし

で、マジシャンがマジックで伝えたいことがあっても、客側は理解できないかもしれない。というかその可能性のほうが高い
私たちが海外の過去の風刺画を見てもきっと理解できないであろうことと大差ないです。
その時代の背景を知らない、文化を知らない、知らないものは理解ができない
そして、通常、客側はマジックを知らないし、技法をどれだけ繊細に意味合いを込めて演じたところで伝わらない。

だからこそ、伝わる手法はなんなのかを考えて演じないといけないと思っています。
「伝わる」というのは結構幅の広い話ですよ。
例えばパロディネタとかですね。「伝わる」という要素に尖ったお笑いだと思います。

オリーブの首飾りみたいなのもいいですねぇ、演技始めようって時にこの曲を流すだけで人が笑うんですよ、どれだけ意味が載ってるんだって
共通するのが、「知識」です。

私たちは、知らないことに対しては無力なんですよ。
なら、どうすればいいのか。

マジシャンなら、「知識の有無による刺激の差」と「言葉」に対しては真摯でいないとなと思います。
私なりの解法はさすがにここでは書きませんけど!
でもまぁ、こういう考えというか、捉え方でマジックと接してるっていうのを先に話しておこうと思いましてね・・

おわりに

というわけで、過去でもそうだったかな・・私結構音や色がどうとか、流れがどうとか使ってると思うんですけど、私がそもそもそういう要素で物事の理解をしてるからってことです。
「言葉」よりも、自分の内側に相応しい言葉なんだと思います。コンピューター言語みたいな。内観言語みたいな()

これで次回以降もっと感覚的な言葉を使えるぞ・・(推奨はされない)
というかいつもどおり推敲してないので割と支離滅裂かもしれない、まぁ、書こうと思ったことを書いてたんや・・その分結構素のとこでてるから・・(誰得

何度でもいいますけど、私自身のマジックにはまだ反映されてませんからね私のマジック観・・
反映させるだけのスキルがないので・・

まだまだ守破離の守の段階だなぁと思いますわ。演じる技術っていうのを身につけないとね。

 

さて、次回はどうでしょう、あまり時間取れなさそうなんだよなぁ・・
いやまぁ、そのために今回のを書いたみたいなとこあるんだけども(手抜き宣言)
みる気力があればなんかみますけどね・・()

まぁ、締めましょう
ではでは、また次回

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