驚きの機序から見たスライハンドの難しさ

驚きは、予期せぬ出来事と予期に反した出来事から生ずる。

ポール・エクマン

表情分析入門』(著:P.エクマン, W.V.フリーセン)に出てきた1文です。

繰り返しになりますが、驚きとは予期せぬ出来事と予期に反した出来事から生まれます。マジックで人を驚かす場合も同じです。

当てられないと思う状況から選ばれたモノを当てる、デック中ほどに入れたはずのカードがトップから現れる、知らぬ間にコインが移動している、カードがガラスを貫通する等……多くの現象が、この驚きが生まれる所から逆算して設計されています。されているはずです。

今回の主張は「スライハンドは難しい」ということですが、どこが難しいのでしょうか?

アンビシャスカードを例に挙げてみます。

デックの中央に入れたカードが1番上から出てくるマジックで、やり方は色々あるのですが、スライハンドで解決することが多いマジックでもあります。

驚きが「予期せぬ出来事」或いは「予期に反した出来事」か生まれることから、スライハンドの存在は観客に知られては行けません。ここが難しいのです。

例えば両手でカードを覆う、手を上下に大きく動かす等をしたら、シークレットムーブは観客からは見えませんが、何かをしたという印象が出ます。

何かをしたと思った時点で、その後に起きることは予期せぬ出来事になりえません。

 

アンビシャスカードはタネを考えた場合、察しの良い人であれば非マジシャンであっても2種類くらいの方法を思いつくこともありますし、そのどちらもが核心を突いていることもあります。

ある技法に関しては20年前ならまだしも現在では意外と一般にも知られていることもありますしね…

恐らく原因は『金田一少年の事件簿』などミステリーコミックが流行ったことです。

金田一少年の事件簿では普通にマジックの解説がされていますし、他の作品でも解説があることが多々ありました。更には完全犯罪のような状況、完全密室等をトリックで擬似的に再現出来るという常識が出来上がってしまったことがマジックを見る側にも影響を与えたと思います。

特に金田一少年の事件簿名探偵コナンはほぼ毎回工夫を凝らした犯人が事件を起こします。

そのトリックを見破るというのが話の大筋なのですが、これにより一見不可能性に見える現象についてやり方を考えると癖が付いた、トリックを考えるブームが起きた原因では無いかと考えているわけです。

また、1990年代にのマジック特番などでトリックの種明かしがよくされていたことも関係がありそうです。つまり現在40歳以下の人でトリックを見た場合、違和感があると敏感に反応する人の割合が昔の同世代と比べて増えている可能性があります。

さらに言うとマジック・マスターなんてコミックも有りました。こちらに関してはマジックを題材にしていましたし、クラシックパス、クラシックフォース、ダブルリフト、パーム、サイステビンスシステム他色々な原理の解説がありました。(メンタルフォースについても簡易ですが解説があります)

このコミックを読んでいた人(当時ガンガンを読んでいた人)相手には中々カード・マジックをするのは難しかったりします。

実際にはミスディレクションをうまく組み合わせるので原理を知られていても、それに気が付かないようにすれば成立しますが、やはりそのへんは熟練度がある程度必要になってきます。

マーケティングの世界でも言われていますが、消費者は馬鹿ではありませんし、学習しないわけでもありません。昔の消費者に通用した手法が現代の消費者に通じない可能性もあるのです(逆のパターンもあるにはありますが、今回の趣旨と変わるので割愛)。

 

スライハンドが難しいのは違和感を消すためにかなりの練習と適切なミスディレクションが必要だからです。観客の意識をコントロールするためには場数もある程度必要になってきます。(ルーティンによっては解説されている手順や動きそのものがミスディレクションになっているので完コピすれば何とかなると言うものもありますね)

 

相手が見ていない一瞬のタイミングで動作を行い、相手の視線が戻っ時、外見上動きの変化が無ければ「何もなかった」と処理されます。逆に言うと相手の視線が外れる前後で動きが大きかったり、形が違ったりすると違和感が残りますし、「何かした」となります。

スライハンドをメインにする人で、視線を切ろうと常に動く人がいます。これはこれで理にかなっているのですが、動きはバレなくても「何かやった」雰囲気が出てしまうので、そこまで受けないってことが起きます。

特にカードマジックでたまにある「やり方は全くわからなかったけど、そんなに面白くなかった / 印象に残った物が無かった」の感想はここから来ているのではないかと私は考えています。

 

不思議さと驚きは似ています。

考えて分からない現象が不思議となりますし、その分からないと言うのは想像とは違うタイミング、或いは方法でマジシャンが現象を完成せているからです。

そしてそれは予期しないとほぼ同義なので驚きとなります。つまり不思議さを演出しようとすると同時に驚きが生まれるのは当然です。

ところが、スライハンドでは練習不足によってフラッシュをすれば驚きは減り、何かを仕掛けたタイミングが雰囲気で伝わってしまっても驚きが減ります。驚きが減ることは不思議さが減ることとほぼ同義です。

スライハンドで驚きと不思議を生み出そうとするなら、動作を完璧に見えないようにしたほうが良いのですが、そのレベルまでスライハンドのレベルを上げるのは非常に難しいのです。

 

時々、優れたカードコントロールはどれだ、みたいな論争があります。

パスとセレニウムシフトが話題に登ったこともありました。

私としては外見上動きが最も小さくなるのであれば、どんな技法を使っても構わないと思っています。

私がクラシック・パスを愛用しているのは、単に動作の前後と動作中の動きの変化が少ないからです。軽く意識を外すだけで何もしていない印象を与えることが出来きるからで、より動きが小さいムーブがあればそちらを採用するかも知れません。

例えば、ハーマンパス。これには色々なカバー動作があり、パス自体の動きも見えにくくする工夫が色々とありますが、形が完成するまでの時間が多少必要で、尚且つカードが常に動くので技法感が出てしまうことがあります。

これも見る人によっては「そこで動かしているな」と思う場合があります。

 

そういう意味では最近読んだルージング・コントロール(以前に投稿もしています)は、この驚きの発生する原因から考えると非常に理にかなっています。

完全に相手が想定していないタイミングでセットが終わっているので何もしてないように見えますし、多少マジックの知識がある人でも簡単に引っかかります。

性質上、多用出来ないテクニックではありますが、この脳が騙される感じはすごいのでたまに挟むと効果的だと思います。

 

難しというだけでスライハンドでも熟達すれば何度やっても不思議に見えるレベルになりますし、スライハンドで解決するなら派手さや凄さよりも不思議さを追求した方が良いと言うのが私の考えです。

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