マジシャンとか種明かしとかの話
諸事情あり更新が滞っていました。
マジックマーケットは1点だけ気になるのがあったので購入したのみで、ほぼ参加していなかったのに等しかったです。ニコニコ超会議も今年は普通に遊びに行こうと思っていたのですが怪我で参加せずって感じです(昨年は出る方で誘われていたものの結局オンライン開催になりましたし、かれこれ5年位参加してない気が…)
ここ最近はマジック関連のインプットが上述のマジケのやつと "MULTITUDE" だけで、まだ読んだだけなので暫くアウトプットはできません。
有り体に言えば「ネタ切れ状態」になっています\(^o^)/
(いつもネタ切れと言ってる割には月3〜5本は書いている気が…)
ということで、今回はタイトルの通り、マジシャンとか種明かしについて個人的な考えを書いていきます。
目次
個人的なマジシャンに対する認識
ロベール・ウーダンの名言
有名な言い回しが最もマジシャンを表していると思っています。
" Un prestidigitateur n’est point un jongler ; c’est un acteur jouant un role de magicien; c'est un artiste dont les doigts doivent etre plus habiles que prestes."
― Jean Eugène Robert Houdin ”LES SECRETS DE LA PRESTIDIGITATION ET DE LA MAGIE” Michel Lévy frères、
DeepLの翻訳を参考にするなら「奇術師は曲芸師ではなく、魔法使いの役を演じる役者であり、指の速さよりも巧みさが求められる芸術家である」って感じです。
("prestidigitateur" をどう訳すかについては私がフランス語を余り知らないのですが、調べた感じ「予知能力者」みたいな意味もあったり、同義語がイリュージョニストだったりで、ここでは奇術師にしています)
ちなみに Wikipedia で採用されている「マジシャンとは魔法使いを演じる役者である」って訳は松田道弘氏の『マジック大全』の引用とのことなので、その邦訳は違うよ!って人は東京堂出版に文句を言って下さい。
マジシャンはほとんど居ないのでは?
魔法使いの役を演じている以上、相手に魔法だと思われない人はマジシャンではなく、ウーダンの言葉を借りるなら曲芸師なんじゃないかと。
フィクション作品はフィクションであるにも関わらず人を夢中にしていますし、「所詮はフィクション」と考える人は居てもそう多くはないはずで、これは物語の作り込みやら構成、作者の技巧が卓越しているために起こる現象だと考えられます。
マジックもこれと同じで、タネがある(フィクションである)と分かっていても、現象(物語)に夢中になる可能性がありますし、それこそ演者の技量に依ります。
もし演じた後に観客がタネを異常に気にするのであれば、それはマジシャンの演技力の低さを表していますし、演者本人がマジックを演じたつもりでいても観客からすれば単なる曲芸であり、それはつまり演者がマジシャンであることに失敗しています。
極論を言ってしまうと、演技力がマジシャンの水準に無いにも関わらず「マジシャン」を自称する人がやたらと多いことが色々な問題や誤解に繋がっているんじゃないかと…
ちなみに、私があまりマジシャンを名乗らないのも、メンタリズムに傾倒しているのも、自分の思うマジシャンの域に達せないと考えていることが原因の1つです。
種明かしについて
大前提
愚かな行為だと思っていますし、推奨は全くしていません。
その上で、別のロジカルな考えも持っています。
ロジカルに考えるのであれば…
ロジカルに考えるには論理的な根拠が必要なのですが、それは絶対的な法によるものであり、個人の価値観やモラルは根拠になりません。なお、ここで言う法は法令だけではなく、物理法則も含まれます。
で、現時点でマジックのタネを保護する法的根拠がない以上、タネ明かしをやめさせる論理的な手段はありません。
また、マジック界の発展を次の3つだと考えた場合もタネ明かしは合法的な手段としてそれになりに有効なんじゃないかとも思っています。
- 技術的発展→技術はオープンソース化した方が進化は早い:タネ明かしは有効
- 興行的発展→マジックを見るのが好きな人を増やすべき→マジシャンの絶対数が増えればマジックを見ることに興味を持つ人が増える:タネ明かしは有効。
- 商業的発展→マジシャンの絶対数を増やせば割合としてマジック用品を買う人が増える:タネ明かしは有効
例としてこの3つを挙げているだけですが、見方によってはマジック界の発展に貢献していると言えなくもありませんし、主張としても無理筋ではないように思えます。
まぁ、これはあくまでもそういう見方が出来るよってだけで、個人的には全くマジック界に貢献しているとは考えていません(後述)
モラルや価値観を基準にする危うさ
個人のモラルや価値観を判断基準に基づいて「タネ明かしをすることは悪いことだ」と言っている人もいますが、これは危険だと個人的に考えています。
エンターテインメントのためとは言えマジックがやっていることの本質は「騙し」であり、理由は何であれ騙しは良くないと考えている人もいます(構造的には「愛があれば体罰は許されるのか?」と似ています)
マジックはモラルの低い行為であり、タネ明かしはモラルが高いと考える人がいてもおかしくないですし、「騙される人を減らすため」と名目次第でこの考えが主流になる可能性だってあります。
少なくともマジシャンをモラルの低い職業と認識をしている人が身内にそこそこいますし、私がマジックで稼ぐことに対して難色を示す人もいます。特にキリスト教圏では「騙す」のは良くないことであり、また「魔術」も忌むべきものって考えがあるので、敬虔になるほどマジックを毛嫌いする傾向があります。
まぁ、キリスト教の信者は世界で大凡20億人いると言われていますが、日本だとかなり少ないので遭遇する可能性は低いんですけどね?(両親がクリスチャンの我が家のほうが圧倒的少数)
とりあえず、モラルや価値観は立場や時代によって変わるものであり、タネ明かしをモラルの低い行動と見るのは論理的とは言えません。
法的根拠があれば解決する
マジックを保護する法令があれば問題の多くが解決するので、議員を排出して法整備をすすめることがほとんど唯一の解決法だと考えています。実際にそれができるかは別として。
ひたすら声を上げて「面倒くさい」と思わせて止めることもできなくはありませんが、あまりスマートではありませんし、「マジシャン=面倒くさい奴ら」と思われるのはエンターテイナーとしてどうなの?って気持ちがあるので、この方法は個人的に採用したくありません。
個人的な考え
繰り返しになりますが、「タネ明かしは愚かな行為」ってのが私の基本的なスタンスです。
リソースの問題
マジックの現象は膨大ですが有限です。正確に言うなら、手法や現象が古典の延長線上にある以上増えるペースが速くないですし、革新的な技術が出ることも滅多にありません。なので、タネ明かしのペースは開発よりも速いため、最終的にはリソースが枯渇すると考えられます。
全てのタネを明かしたらもうやることが無いですし、サスティナブルが叫ばれ化石燃料の使用を減らそうとしている現代の感覚からしたら時代遅れだなと。
また、タネ明かしはクリエイターのモチベーションが下げるため、クリエイターが減ると開発速度が遅くなるためリソースの枯渇が早くなるはずなので、やはり愚かな行為って感覚が強いです。
曲芸師を増やしているだけでは??
マジック界を発展させるにはマジシャンの人口が増えれば良いのは間違いありませんが、タネ明かしで増えるのは曲芸師だけだと考えています。
現状ですら自称マジシャンのほとんどが私の基準では単なる曲芸師であることを脇に置くとしても、タネ明かしが秘密の暴露である以上、今まで本物のマジシャンと呼べた人がタネ明かしによって曲芸師になる可能性が十分にあり得ます。
つまり、私個人の価値観やマジシャンの定義で言うと、タネ明かし行為は全くマジック界の貢献になっておらず、増やしているのは曲芸師だけで、むしろマジシャンを駆逐する行為となります。
まとめ
タネ明かしは愚かな行為だと思います(大事な…ry)
ただ、法的な問題がないためそれを制止する術はありません。また、私は表現規制反対派なので、法的根拠もなしに「やめろ」とか「配慮しろ」とも言いません。
(配慮って言葉は非常に曖昧で、どこまでしたら配慮になるか不明という問題があります。配慮と停止の要請は違うと思うかも知れませんが、これは「いじめ」と「弄り」の関係に似ていて、「配慮して欲しいがやめて欲しいわけではない」と言ってる人は「弄りであっていじめではない」と言ってるのと変わりません)
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