オッカムの剃刀

「オッカムの剃刀」という表現を知っていますか?

私は"THE MENTALIST"のシーズン2を見て初めて知りました(^ρ^)

言葉が違うだけで似たような表現が幾つもありますし、知らないだけで同じ様に考える人も少なくないと思います。

オッカムの剃刀

オッカムの剃刀(オッカムのかみそり、英: Occam's razor、Ockham's razor)とは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針。もともとスコラ哲学にあり、14世紀の哲学者・神学者のオッカムが多用したことで有名になった。様々なバリエーションがあるが、20世紀にはその妥当性を巡って科学界で議論が生じた。「剃刀」という言葉は、説明に不要な存在を切り落とすことを比喩しており、そのためオッカムの剃刀は思考節約の原理や思考節約の法則、思考経済の法則とも呼ばれる。またケチの原理と呼ばれることもある。

Wikipediaの該当ページを見たらわかりますが、似たような表現はいろいろな人がしており「オッカムの剃刀」という言葉を知らなくても、概念自体は知っていたりするかと思います(私がこのパターン)。

私のマジックやメンタリズムに対する現象やアプローチ、特にセリフや行動に関してはこの理屈がよく使われています。

無駄な要素

先に私が苦手(嫌い?)な要素を紹介したほうが話が早そうです。

  • 無駄な質問
  • 無駄な動作

私自身がこれらの要素を全く含まない現象を行っているかと聞かれると、自信を持って答えることはできませんが、気をつけている要素ではあります。

特にメンタリズムを行う人は、これらの要素をよく含む傾向があると感じています。

無駄な質問

メンタリストによくありがちなのが、謎のリーディング要素がついてくることです。

リーディングそのものは要素的に問題ありませんが、一部のルーティンでは正直「やる意味あるの?」という思うことが多々あります。

例えばウィッチハンド

左右のどちらかを当てる際に、「あなたは〜〜という傾向があるので」と聞くのは合理的だと思います。

問題なのは、そこに続けて「兄弟がいるんじゃないですか?」とかパーソナルデータに関する質問をするのは、正直意味がわかりません。左右どちらかを当てたいのに、「〜〜の傾向がある」だから「兄弟がいるんじゃないですか?」って聞くのは、当たっていたとしても現象がブレブレだと私は感じるわけです。

左右を当てるはずなのに、個人情報を当て始めるってのはメンタリスト的にはありかも知れませんが、現象のインパクトはかなり薄れるので個人的には好きではありません。

以前、大衆受けについて軽く言及した時、「複数の現象が同時に起きない」ことが望ましい的なことを書きました。つまり、ウィッチハンドとリーディングを同時に起こすのは、観客負担が増すだけで現象としての良さが削ぎ落とされるのではないかと考えています。

もちろん、最終的にウィッチ・ハンドという現象を強く見せるために、その理由付けとして、「左右の選択に関わる相手の状況」を読み明かす演出は良いアイディアだと思います。それ以上、というか関係のない情報の読み取りは、一見自分の能力を示せるようで現象そのものの強度が落ちるため、最終的な印象が薄くなるという、非常に勿体無い選択と言えます。

過ぎたるは及ばざるが如しってやつですね。

特定のルーティンに組み込むことで安全にリーディングを行うテクニックはありますが、方向性は統一すべきかと。

過剰なあらため

マジシャンで多いのが、仕掛けが無いこと確認する質問を良くするケース。見ても仕掛けがあるかわかりませんし、カードケースなど普段は相手に仕掛けはありませんね?と確認しない物を、ギミックを使うときだけ確認するのは無駄だなと。

メンタリストで多いのは「フェア」とか「ランダム」をやたらと強調して、相手に確認させるケース。

そこまで強調しなくても…と思うことがよくあります。現象が起きる直前に、1回でおさらいしてランダムでフェアであることを納得させたほうが印象が良いと私は考えています。途中で何度も確認すると、逆にそこに引っかかりや違和感を感じる気が…

無駄な動作

カードマジックをする人でよく見かけるのが、無駄にカードを触るか動かすケースです。

癖なのかは知りませんが、特に何もないタイミングでドリブルをしたり、カードの端を軽くリフルしたり、対してずれてもいないのにカードの端を揃えたりするのは、見る人によっては気が散ります。特にセリフ中にやっているのを見ると、「聞いてほしくないのかな?」と思うわけです。

ちなみに、マジシャンはマジックを見ることに慣れているため、そういう動作が挟まれても普通に現象を見れるそうですが、非マジシャンに聞いた所「気になる」って意見が割と出てくるので、非マジシャンを相手に見せる機会が多い人は気をつけたほうが良いかも知れません。

メンタリストを名乗る人でありがちなのが、過剰なジェスチャー。サイコロジカル・フォースをしたいのかは知りませんが、「暗示」と言うにはあまりにも目立ちすぎるジェスチャーを連続でしすぎる傾向がある人がいます。

同じベクトルだと、やたらと指を鳴らす(フィンガースナップ)人もいます。特定のワードに掛けて指を鳴らしているようですが、ジェスチャーと併用したり、パチパチしすぎると情報過多で逆効果なんじゃないかと…

特定の情報をとにかく目立たせればフォースできると信じている人が少なくないのかも知れません。見様見真似でメンタリズム的なことをやりたい人に多い印象です。

「無駄」を削ぎ落とす

オッカムの剃刀で大事なのは、無駄を削ぎ落とすけど、必要なものを削ることではないってのがあります。

上述のウィッチハンドの例でも言えますが、「左右の選択に関わるリーディング」はメンタリズム的な演出をする上では必要だと言えます。この要素はメンタリストがメンタリストであることをアピールするために必要ですし、この要素がなければマジシャンとの差別化が難しくなります。

また、セルフワーキングのカードマジックなども、演者が介入した痕跡を残した方が不思議さが増すってケースが多々あるため、不必要なものではありません。不思議さを強くしたり、種を分かりにくくするために行うブラフは必要であればやるべきです。

他には、オカルト系の演出で演者が突然苦しみだしたりするのも必要ですね(笑)

まとめ

たまに聞く「ブリッジサイズ v.s. ポーカーサイズ論」や「500円玉v.s.ハーフダラー論」、「パスv.s.シフト」、「フィンガースナップやマジカルジェスチャーの必要性」なども、このオッカムの剃刀的な考えで解決できるんじゃないかと…

カードマジックではタッチの綺麗さが〜なんて話もありますが、キャラクターや構成によっては必須とは言えません。

レナート・グリーン氏の様に「カオス」というテーマを達成するために、敢えて乱雑さを目立たせているケースや、ピフ・ザ・マジック・ドラゴンの様にシュールさを強調するために、本来できるはずの高度なマジックを封印している例もあります。

過ぎたるは及ばざるが如しってやつですね!(大事なことなので2回...ry)

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