マジックを演じる理由と思考停止
あなたは何故マジックを演じるのか考えたことはありますか?
人を喜ばす手段としてたまたま自分にあっていたと言う人もいれば、私のように不思議な体験をさせたい、そしてドヤりたいと言う自己顕示欲を満たすためにやっている人もいます。
こう言う人たちはまだ分かりやすいですし、この手の人がやるマジックは面白く、不思議であることが多いように感じます。
人を喜ばせるのも、驚かせるのも、不思議を体験させるのも全て観る人の感情に訴えるものだから。
マジックはその性質上、不思議さと驚きが必須だと私は考えています。
エバーハード・リーゼの著書『ファウンデーションズ』にも、マジックはまず不思議であることが前提みたいな事が書かれています。
ところが、世の中には不思議さも驚きもないマジックを演じる人がいます。
面白さを求めウケ狙いに走るくらいならコントやもっと笑いに特化した芸能があるはずですし、技術的な凄さを強調したいのであれば大道芸やアクロバットなどもっと直接的に見せる方法があるにも関わらずです。
マジックがそれらの芸と違うのは、不思議さを強調しているところではないでしょうか?
そう考えた時、マジックをする際に選ぶべきネタや取るべき態度や演出は自ずと限られてくると思っています。
マニアに受けるためにやる人やそれに特化した演出もあるので、一概に言えないかもしれませんが、少なくとも私は観る人の背景に関わらず煙に巻きたいと願っています。
不思議さや驚きをメインに置くのであれば、学歴や本職等の肩書が不純物であるのが分かるはずです。
むしろ逆効果になることすらあるかと思います。
「あの人頭が良いはずなのに、なんでそんなにつまらないマジックするの?」と言われるリスクは想像に難くありません。
自信があるのであればハードルを上げるのは構いませんが、学歴や肩書は使い方によっては観客との対立関係を築く可能性もあり、マジックに於いてはあまり良い手だと私はどうしても思えません。
思えないので、私はマジックのパフォーマンスをする時は学歴と専門を隠しています。
ただし、催眠術やメンタリズム的な演出をする場合は学歴が高いのであれば大いに利用すべきであるとも考えています。特に催眠術では威光があると導入率が高くなるというメリットが大きいので、相手の感情が揺さぶられるほどの肩書はある人は是非使ったほう良いかと思います。
メンタリズム的な演出をする時も学歴や専門はリアリティを生みやすいので有用なケースもあります。
「学歴はあったほうが良いが、全面に押し出すものではない」というのが私の持論です。
他にも不思議さを損なうものとしてセリフがありますね。
以前の投稿で「種も仕掛けもありません」というセリフがあまり意味を成さないという話をしました。それと似たので、「タネが分かっても、分かったと言わないで下さい」とショーの前に観客に言う人もいますが、これもやはり逆効果だと私は思っています。
理由は簡単で、このセリフを言うことで「分かると言われる可能性のあるモノを見せられる」と言う思いが頭をよぎるから。更に見破ってやろうという気持ちが生まれ対立構造がつくられてしまう可能性があります。
確かに突然タネを指摘し始める観客もいるにはいますが、まずは分からないようにやる、自信のあるネタだけやろうってのが第一です。
そして、万が一指摘された場合の受け答えを考えておいたほうが何かと都合が宜しいかと思います。
終わった後にタネを指摘されても既に驚いている人もいるわけですし、最初に効果を落とす発言はもったいない。
結構長いことマジックをしていますが「分かった」と言われたという経験がほぼ無いってのもあるので、私の考え方はあまり受けいられないのかもしれません。
ただ、観客が分かったとしても指摘しづらいようにする工夫はマジックをやっている人なら思考停止していない限り少しは思いつくはずです。
もう1つの工夫は、観客参加型にすることです。
これは余計にクレーマーを引き込むことになると思われがちですが、最初に軽く指示を与えて適当な動作を観客にさせることでその人は協力的になりやすくなります。
ミルトン.H.エリクソンが催眠誘導で使っていてたテクニックに同種のものがあり、催眠術の成功率を上げる方法でもあるのですが、そちらについては別の機会で紹介しようと思います。
セリフでは他に「今からこうなったら凄いと思いませんか?」というセリフも不思議さを損ないます。率直に言うとサーストンの3原則の1つに反しています(本当はサーストンの言葉では無いという説が強いが便宜上サーストンの3原則と呼ぶ)
これは大道芸的な見せ方をする人に多く見られるそうで、メリットは観客のリアクションのタイミングを揃えやすいというのがあるとか。
リアクションが揃ったほうが場の空気が盛り上がるし楽しめる雰囲気になるので、観客を楽しませることを優先するタイプのマジシャンであればそれほど問題ではないように思いますが、不思議さを追求するなら言わないほうがベターだと思います。
不思議さと最も関わりがあるのがネタです。
最初から鉄板で不思議なネタを使えば、多少演出がまずかろうが技術がなかろうが不思議に感じるものだったりします。
「本物のマジックはそれを演じる上で極めて単純なものでなければならない。演者の動きが単純であればあるほど、自然であればあるほど観客はタネを見破ることが出来にくくなる。」ロベール・ウーダン
シンプルなネタを不思議に見せる努力をした方が有意義だと私は思います。
もちろん複雑なパケット・トリックでも十分に観客を喜ばすことが出来る人もいますが、それは恐らく少数のはずですし、それよりも最初からシンプルで不思議なネタをやったほうが遥かに楽なはずです。
ここで最初の話に戻ります。
観客を楽しませたいタイプと、不思議さを演出したいタイプはこの辺を理解しているはずで、パケット・トリックや無駄に長い手順のマジックを避ける傾向がありますし、単純に自己顕示欲だけが先行しているタイプに複雑な手順を好む人が多いように感ます。特に学生や初学者にその傾向が多いのではないでしょうか?
ダレン・ブラウンが次のように言っています。
「マジシャンが指を鳴らしカードが4枚のAに変わるとき、私たちはそれがスライハンドによるものだと経験的に分かります。真の魔法はそのように素早く容易に起こるものではありません。真の魔法にはそれに見合う労力が要ります。真の魔法はあなたを引き込み、ナーバスにさせます。」
「マジシャンはオイル&ウォーターが好きだよね。僕はオイル&ウォーターを見てもピンと来ないな。オイル&ウォーターは『演者のあり方』とか『演者が観客に伝えようとしていること』とは一切関係の無い現象で、ただ『そこにある何枚かのカードの世界の中だけで何かが起こる』というマジックの典型例だから。」
(文体が違うのは翻訳の関係によるもの)
マジック=スライハンドと考えている人は案外多いのではないでしょうか?
マジックは現象であって、スライハンドは手段の1つにしか過ぎません。
現象を強化するにあたり、より良い方法があるのであればそちらを選んだ方が良いはずです。
結論:
マジックを演じる理由は重要。
とりあえず「マジックは〜をやっておけば良い」とか、みんなが使ってるセリフだから自分も使おうとか、何となく凄そうに見えるら肩書を付ける、というのはタダの思考停止。
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