雑記:普段気をつけていること
やぁどうもおはようございます月ノ風です。
いやもうあっついわ、最近の暑さにちょっと耐えられない気がしてる。
私の部屋風が通らないわエアコンがないわでぐったりですよ・・仕事中の方が環境は快適
さてさて、今日は何にしようかなと思ってたんですけど、ちょっと書きたいこと書きます。
レビューとかじゃないし別にこれといった不満ってわけじゃないんだけどこう、ちょっと思い出したというか書こうかなというきっかけがあったので
基本的に読者にとって利になるものがあればいいとは聞いてますけど、今回のが利になるかどうかはどうだろう…とりあえず読者に提供するために書いているという感覚がいつもより薄れるので、読みにくいというかえらい抽象的な感じになります。こんな感じで考えてるんだよって私の事を知ってもらうだけみたいな
…
……
いつもどおりかな?()
ただこう、コンテンツという感じでもないので最近導入した見出しとやらつけてないです。読みづらさがあるやも
まぁ、何書こうとしてるんやっていうとアレなんすよ
最近、私の知り合いに恋人が出来たらしくて、それが初めての恋人なのかは分からないんですけど、まぁ長い友人付き合いだった人らしくて実感が湧かないとかの話しをチラッと聞いたんですよ。その上で大事にしてることとか伝わらんとダメだよなぁという話しをちょっとだけしたんですよ。
で、ほぼ同時期に「優しくてもモテない」という内容のツイートをみかけてそれはどうなのかということで、私自身優しさを伝えるにはみたいなことをツイートしました。
共通する話題が「伝え方」です。ちょっとこのあたり言及しておきたかったので少し書きます。
そもそも私は「人は自分の中に(判断材料等)あるものしか理解できない」と思っています。既知のものじゃなければ判断しようがないという感覚が近いですかね・・
今日というか昨日もある人が「自分の立ち位置は理解してる」という発言をしていて少し気にかかりましたけど、理解とか分かるとか、これはどこまでいっても「つもり」とか「と思う」みたいな言葉がつくと思ってます。結局のところは自分がどう受け止めたかの話でしかなくて、実際は受け取ったものを消化できた(という認識をしている)というだけだと思うんです。
それでいくと、「優しくしてるのに伝わらない」という場合は、あなたにとっての優しさが相手にとっての優しさではなかったという事なんですよ。
ここら辺別に広げませんけど、自分が楽しいと思ってることが他の人にとってはそうじゃないってのと同じようなことだと思います。
で、楽しさみたいなのは分かりやすいですけど、優しさのように判断基準に類するものになるとちょっと人の内側なのでわかりにくい。
それでもなお優しいと思われたいなら、相手が誰かに優しくしているところを見て、その真似をすればいいんです。相手にとってはそれが優しさなんだから。
自分が相手の優しさに気づけるかどうかの問題も多少はありますけど、気をつけていなければしなさそうなことや、自分だったら他の手段をとるけどそっちの方が確かに他の部分がスムーズだなと思えるような「違い」に目を向けていけばおおよそ対応できるはずです。
「自分が○○だったら君にこうしたのに」みたいなたとえ話を聞くことがあれば、それは発言者がされたいことでもあると言っていいんじゃなかろうか。そうするのが良いことだと思っているわけですからね。
余談ですけど、自分はいいけど相手はダメみたいな感じのねじれがある人相手はもうどうしようもないです。そこはガンバ☆()
で、こういった「理解出来るものの範囲」は別に優しさに限りません。
最初に「人は自分の中にあるものしか」と大きめに語ったように、大体のものはそうだと思います。
それは私たちが扱うマジックでも使えると思います。
私たちは似た環境で育ってると思います。昔に比べればネット等で海の向こうとすらほぼ時間差なくつながれる世の中、今では文化も大まかには似たものになっていると思います。
そして日本という国内ならなおさら。県民性とか言われたりしますけど、大きなカテゴリーでは大差はない環境の中生きてきたはずです。(海外で育った方もいるでしょうけど)
同じ言葉を共有して、似たような創作物に触れて、似たような教育を受けてきました。
言葉が持つ意味合いもそう大きな違いはないはずなんです。ここら辺からどんどん「いや、それはどうなん」率が増えると思いますけどね。
ナレーターですら辞書に沿ってない日本語を使うくらいなのでそらまったく共有してるわけではないんですけど、大体「通用」します。
似た言葉を使っているということは、(表現的に)感覚等も共有しているということです。
どんどん危うくなってきましたけど、例えば虹の色。とある国(忘れました)では3色と答えるそうで、私たちが「青」と「緑」で分けている色をまとめて一つの色として認識しているというような文化の違いが出てきます。
私たちは大体7と答えると思います。そういう話しをしてます。見えているもの感じているものは実際は違うかもしれません(ここらへん脳機能や哲学の分野調べれば楽しめます)けど、同じ言葉を用いている以上その違いは共有しているはずです。
他にも数の数え方とかも違いますよね、文化の違いって面白いねっていう
まぁそこはおいといて、私は言葉が思考をつくると思っているのでここら辺から広げますけど(思考が先なのか魂だけで思考が出来るのか等は各人でどうぞ)、使っている言葉が持つ意味合いが共通ならば、その言葉を使う状況も似通うはずなんです。
相手が使っている言葉とその使い方をみれば、その言葉に期待している効果等にあたりをつけられるはずなんです。その人にとってのその言葉がどういうものなのかが少しは見えるはずなんです。
私が、わざわざ何でそんな話書いてんの「人それぞれ」の一言で済む話じゃないのってとこまで書いてるのは、私が使う言葉に期待しているものまで分かって貰うためです。
人は自分の中にあるものしか理解できないものだから、理解できる形までバラして一度内側に入れてもらうんです。そこで組み上げて前例を作れば、それ以降は理解してもらいやすくなる。
大体なんであろうがここに変わりはないと思ってます。
だからね、ジャグリングでも高難度が分かってもらえないという人は、それが高難度だと分かって貰える流れを作れてないんですよ。
マジックでも不思議だと思ってもらえないなら不思議をつくる流れが出来てないんです。
まぁちょっと今書きながら気付いたんで即時前言撤回みたいな事になりますけど、「不思議」ってなんだと思います?
私は端的にいえば「処理に困る」だと思ってます。「これはこうだ」と判断できない、つまりは前例がない状態。「自分の中にないもの」ですね。途中までははいってくるけど結局処理できないものだと思ってます。
それを前提にしたうえで、「こういうものが不思議」というカテゴリを相手の中に作り上げるアプローチがあっていいんじゃないですかって感じですかね、マジックに関しては
さっきも書いたように、相手に理解できる形までバラしてからの再構築なので、ただ単純にもの消しました出しましたでたどり着ける場所ではない(はず)です。
ココから広げると長くなるんですけど、まぁ少し言及すると、考えずにみていられるマジック(出現や消失等)は、一般的な感覚のカテゴリ内で処理エラーを起こさせるというものなので、基本的には響かない(相手の価値観を壊す等影響を与えない、カテゴリを作らせるほどじゃない)と思ってます。
これもまぁ、価値観の破壊に関しては衝撃の度合い次第でどこのカテゴリでもできるでしょうけど、その衝撃もプレゼンテーションであげるものだと思ってるので、それもまた相手に伝えるという点で似たようなことです。(ちなみにプレゼンテーションは無言でも出来るはずです。サトルティとかもこの一部だと思いますし)
「魔法」とはなんぞや、ただの不思議ではないのかとかはまぁまた考えておきます。ただ、こいつはおそらく一般感覚カテゴリの破壊が必要だろうなと思ってはいます。実際どこまでなのかどれくらいなのかとかはぼんやり考えますけども。
伝わって欲しいなら伝わる言葉や手法を選ぶべきだし、響かせたいなら更にその先まで気をつけないといけないと思っています。
だからまず、どういう言葉を使うか、どういう表情を使うか、どういう服装をするか
そうして受け入れられやすさを作っていくところからだと思うんですよ。
これは、誠実そうな人はこういう人という価値観に合わせてもいいし、最初から理解が及ばない人だと思わせてのアプローチでもいいと思います。やりやすいやり方でいいんですけど、やりたい事をやるだけでそれでウケない響かないはそらそうだろうなって話です。
その上で引き込む(繋げる)、作り上げる(破壊する)という流れがいるもんじゃないのかなぁと
伝えたいなら
エンターテイメントだろうがコミュニケーションだろうが大差はないんじゃないかなぁって
あとあれだ、最初のほうで書こうと思って書き忘れたことがあります。
リア充め末永く爆発しろ
来週はまぁ、なんかのレビューだとおもいますけど休みがほっとんどないので軽いものになるかも
ではではまた次回
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