超会議2日目、怪しい宗教だって?
超会議2日目も句読点として参加しました。
一昨日と比べ私は更にマジックをしなくなってしまいましたね/(^o^)\
内訳で言うと…
そぉてんさん→マジック:催眠術=80%:20%
私(自己評価) →マジック:催眠術=20%:80%
と言った感じで私はほぼ催眠術の導入担当なのでは?というポジションに落ち着いた感があります。より正確には客寄せ等もそぉてんさんがやっており、負担で言うとあちらの方がかなり大きかったのは間違いありません。
お互いにメンタル系のマジックをやり、尚且つセリフも近い部分が存在するにも関わらず、キャラクター又は演出のためか全く違った印象があるのと、一部のネタを除きほぼ被らないという奇跡のバランスでした。
唯一困ったことと言いえば、ブックテストをした後に私に出番を回すという無茶振りが何回かあったことくらいです(笑)
ブックテストは解説や実演動画だとパット見地味そうなためかやらない人もいるそうですが、リチャード・オスタリンドやマックス・メイビンと言った、メンタルマジック界の大御所がトリネタに持ってくるほどインパクトのある現象だったりするんですよね…
「今から更に凄いことをやります」と言ってハードルを上げてからの無茶振り!
とりあえずやったネタがブックテストの後の割に結構ウケたようなので、存外無茶では無かったのかもしれませんが、正直厳しかったです。
無茶ぶりから1ネタ(現象としては2つ)やってから催眠術パートへと入りました。そぉてんさんも催眠術もやる方なのですが、2日目の導入はすべて私がやりました(導入から筋硬直、名前の忘却あたりまでやった段階で交代)。
超会議ブースで催眠術をやった時の様子はこちら。
本来は被暗示性テストでよく使われているらしいポーズを取っていますが、実はこのまま腕が離れなくなる暗示を同時に入れており、半数より少し少ない人の腕が固まっています(写真だと分かりにくいのですが、他の人に撮ってもらった動画だとそれがわかります。動画のアップ予定はありません)
初日に試して思ったのは、やはり被暗示性テストはそこまで必要ないということ。テストをしても掛からない人がいたら意味ないですし、しなくても掛かる人は掛かるので。まぁ、エリクソンも「高い被暗示性は必要ない」と言っているのでそれに倣いました。
最初から風船と辞書やペンデュラムを使った軽い導入からそのまま一気に入れてい行き、再確認として上の写真のようなポーズを取らせました。人差し指を立てた状態で指を組むポーズをマグネティックフィンガーと呼ぶこともあるそうです。
これは催眠術というよりは生理現象を利用した被暗示性テストで、被験者がどれだけ受け入れやすいかを見るのによく使われています。(そういった生理現象を知っている人には逆効果な場合もあるので個別でやる時は注意が必要)
そのマグネティックフィンガーを敢えて後ろに回しただけで導入率が高くなったように感じました(母数が少ないので偶然の要素は否定しきれませんが…)。一応私なりの仮説はありますが、まだ考えが上手くまとまっていないのと、ちゃんとした検証が出来ていないので、そちらは後日何らかの形で発表しようかと思います。
超会議での出番が終わってからまた駅前の路上でやりました。そして、やはりそぉてんさんからのブックテスト後の無茶振りが...(ry
そぉてんさん(軽いマジック)→私(軽くマジック)→そぉてんさん(ガッツリマジックでラストはブックテスト)→私(マジック)→私(催眠術)→以降その場の流れで…という形が多かったような?
路上で催眠術はかなり目立つようで通りゆく人々みなこちらをガン見していましたね…(^ρ^)
ガン見していた割に立ち止まらなかったのは恐らく怪しかったからでしょう…
アイキャッチの写真を見て20世紀少年の「ともだち」みたいという意見もあったくらいです(笑)
たぶん人差し指を立てていたせいなのですが、ともだちは手の甲を相手に向けるので微妙に違います。偶然通りかかった知人も「駅前で怪しい宗教みたいなのがいた」とTwitterで呟いていたましたが、恐らく私達のことだと思われます(笑)
アイキャッチの写真は2日目のものですが、実は初日の方が人が倍近く多かったので、さぞ怪しかったかと思います。
ここ2日間ストリート形式でやって気がついたことがいくつかあります。
- マイクはあった方が絶対に良い。
- 音楽は客寄せには必須。しかし実演時には消したほうが良い。
- 机はあると楽。場合によっては無い方が良いこともある。
- メンタルマジックと催眠術をやるなら椅子があったほうが良い。
- 人が集まるまではクロースアップマジックを単発でやり続ける必要がある。
- 距離感のせいか加害者的なマジックがやりやすい。
6に関しては若干の補足が必要かもしれません。
マジシャンと観客の関係性についての話で、加害者−被害者、共犯者、傍観者というカテゴリに分けることが出来ます。(うろ覚えなので、後で調べておくが大体この3つだったはず…調べた結果正しくは、殺人者(犯罪者)、犠牲者、目撃者で、共犯者は私の創作だということが判明…ちなみにこれはトパーズというマジシャンのレクチャーノートに書いてあると『ファウンデーションズ』著:エバーハード・リーゼに記述がある)
例えばステージマジックの人体切断などは、マジシャンが犯人殺人者でアシスタントが被害者犠牲者、観客は傍観者目撃者といった感じです。
クロースアップは最も直接的でマジシャンが加害者で観客は被害者、場合によってはお互いに共犯者という場合もあります。
私が目指しているメンタル系の現象ではどちらかというと共犯関係が出来たほうが色々と都合がよく、そういう立ち回りを意識しているのですが、ストリートでは相性がやや悪いように感じました。
メンタリストは加害者という意見もあるようですが、私は共犯者だと思っていますし、メンタルマジックをしているマジシャンは加害者であるとも思っています。
私の場合催眠術をやるので便宜的に自分をメンタリストにカテゴライズしているのですが、催眠術は基本的に被験者の協力が必要ですし、催眠で起きる現象というのはすべて自己催眠であり、術者はその状態に入るための手助けをするだけという考え方もあるからです。
悪い言い方をすると教唆しているわけであり、共犯関係が成り立っているとも考えることが出来るのです。
ということで、私はマジックをする時も基本的に観客の協力が必要という体(てい)でやっています。実際そのようなある種の共犯関係があったほうがリアリティは増すのだですが、メンタルマジックをする人では時々観客に対して挑戦的な態度を取る人、加害者として演技をする人が多いように感じます。
これもメンタルマジックとメンタリズムの差の1つではないかと思います。
しかしですよ!ストリートでは観客の協力を取り付けるのが案外難しいのですよ!周囲の雑音などもあり張っていない声は聞こえにくく観客の発言が周囲に聞こえない場合もあるので、観客参加型にやりづらさを感じました。
一方的に驚かせていく一種の大道芸的、或いは奇術的な演出の方がテンポが良くストリートではマッチしているかも?
次の機会までの課題にしようと思いました。
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